2015年5月3日日曜日

旧軍における製パン


日本軍の主食は基本的に米(+麦)か乾パンであるが普通のパンも扱っている。
戦時糧食定数表等にも代用品としての記載があり、後方や兵営等では主食として供されることもあったようだ。

脚気に悩まされた明治期ならいざ知らず、糧食の状態もある程度改善されていて、更に言えばとうの昔に米と麦を混ぜた米麦飯を導入して、乾パンも導入している昭和期の陸軍がなぜパンを糧食に取り入れているのか?
軍の主食としては、米麦飯と乾パンが割合的にほとんどを占めていると思われる。
それでも、その中にあって、パン食をねじ込み、少しでもパンを普及ないし慣れさせようとしていたような動きも見える。
様々な理由があるのだろうが、ひとまず比較的わかりやすい理由らしきものは簡単に見つけることができる。
 
経理官陣中便覧』(1936)には、凍結防止策の一つとして「先づ成るべく凍結し難き食品を選ぶこと」とし、『食品中には其の性質凍結し難き物あり例えば、パン、穀類、乾魚菜、味噌、甘味品の如し』といくつかの例を挙げている。

アジア歴史資料センターで閲覧可能な『熱地作戦に於ける給養勤務の参考 昭和13.8』中の『第5章 給養実施上ノ注意』(Ref.C14010296600)では、
食パンは寒地に於けるよりも寧ろ嗜好に適し且保存上飯に優るを以て戦術上の必要より「パン」食の要求多かるべきを予期す』とある。(パン食は動もすれば食欲減退を来し易き…という記述もある)

信頼性という面から見ると資料が少なすぎる感があるものの、上記の資料によるとパンは飯(炊飯後)と比べると、寒冷地では飯より凍りにくく、熱地では飯より傷みにくいと述べられている。
つまり、パンは寒地・熱地どちらの環境においても、飯より保存上優れているということになる。(とはいえ、飯も焼きおにぎりにしたり梅干しと合せたり、を抜いたり、混ぜご飯にする等、手を加えれば熱地・寒地での保存状態をある程度改善できる)

それでは食品の凍結に関して一つ、昭和12年印刷の「寒地衛生提要」に独立野砲兵第一大隊による飯の凍結試験の結果が記載されているので、取り上げてみよう。
それによると、
気温-20℃で一食分の飯盒兵食を背嚢に附けた場合は2時間で凍結
気温-22℃で上記の飯盒を雑嚢に入れた場合は5時間で凍結
気温-20℃で同飯盒をタオルで包んで雑嚢に入れた場合は6時間で凍結
気温-23℃で同飯盒を雑嚢に入れて外套下に携行した場合と飯盒覆と附けて背嚢に附けた場合は6時間経っても凍結しなかった

飯に関しては、「提要」と題名に付いている通り、上記のものの他にも簡潔に十分な量の情報が載っている。
ではパンについてはどうか?

なんとパンについては一つも記載が無い。(鮭や肉や日本酒、醤油から梅干しなどの副食品の凍結後に解凍した際の食味に関する情報すら記載されているにも関わらず、パンについては一切なし)

そもそもパン自体あまり食べられていなかったためか、それとも、飯と違って「寒地衛生提要」で取り上げて注意喚起しなくてもよいほど凍りにくかったのか。現時点では詳細は分からない…

…何はともあれ、日本軍でも少ないながらもパンは食べられていたわけである。
軍隊と言えばマニュアル。
ということは、日本軍にも製パンの要領(レシピともいう)というものが当然存在することになる。
ここではそれを紹介するわけだが、その前に製パン設備について軽く触れておこう。

現地材料利用簡易パン焼竃
野戦において、現地で取得できる材料でもって構築するパン焼き用の竃。
基本的にはレンガで構築する。
場合により、石(角石)やレンガの形にして乾燥させた粘土で構築する。

1回の焼き上げ容量は天盤6枚。(1時間20kg)※天盤の寸法は440×350×40


パン焼装置
野戦パン焼竃一組と焙炉(ホイロ)2個を主体として、これに製パン上必要な各種器具を附属したもの。
野戦において簡易に製パンを行うことができる。携行して使用する。

1個330gのパンを10時間の焼き上げ作業で3800個作ることができる。


パン焼車(野戦パン焼車)
竃車一台と附属車一台の二台で一組の移動性に富んだ器具。
竃車はパンの焼き上げ用の竃を備えており、附属車は製パンに必要な器具一切を積載している。

作業人員3名以上、一回の焼き上げでパン(1個330g)を64個、20分間焼くのが標準。10時間の焼き上げ作業でパンを1920個作ることができる。

ちなみに左の画像はパン型の図。
鉄板製で4個連結のパン焼き型である。
パン一個は330gが標準。
簡易パン焼竃はおそらく直火でパンを焼くためか、個数が天盤基準となっている。


製パンの要領
一、粗乾燥酵母種製パン法
粗乾燥酵母を使用した直捏式による製パン法

酛種
一、材料の配合
酛種は小麦粉33kgにつき9リットルを準備する。材料と割合は下記の通り。
 ・粗乾燥酵母(マジックイーストケーキ):100g(季節によって適宜増減する)
 ・馬鈴薯:1500g
 ・白砂糖:260g
 ・食塩:60g
 ・温水:約9リットル

二、混合方法
(イ) 粗乾燥酵母
32℃の湯0.8リットルを小容器に準備して、これに粗乾燥酵母を約一時間浸して溶かすときは泡立てる。この際、湯にあらかじめ少量の砂糖を溶かしておくと発酵が更に早くなる。
(ロ) 馬鈴薯
水洗いをし、皮付きのまま小さいものは2つ、大きい物は3から4つに切り、腐蝕している部分を取り除き、沸騰した湯2.5リットルに入れて約20分間煮熟する。
(ハ) 材料混合
煮た馬鈴薯を種槽(酒樽や深い桶に似た容器)に取り十分に薯潰(“芋つぶし”のこと)ですり潰し、白砂糖と食塩を加えて更にすり混ぜる。十分に混ざった時、塊が発生しないように馬鈴薯の煮汁と水を少しづつ加えてすり延ばして約10リットルにする。
(ニ) 温度調節
材料を上記のように配合した後で、温度が30℃に達しない時は湯を加え、30℃以上の時は水を加えて温度を調節する。また。この温度は、夏期が30℃、冬期は32℃とし、11リットルの培養液とする。

三、酛種発酵
培養液に事前に溶解しておいた酵母を入れて撹拌、十分に混合した後、水計で20回ほど液を汲み上げて落とし、液内に空気がよく混ざるようにしたら酛種の製造は終わり。
出来上がった酛種は、種桶に入れて覆布を掛けて温度を30℃に保つ。焙炉(ホイロ:製パンの際一般的に使われている設備。パン焼車等にも完備)内で保温する場合は、4~5時間で泡立ち、しばらく旺盛な発酵を見ることだろう。
暖かい時期は、酵母混合の時から12時間前後、極寒の時期であっても一昼夜前後で“種落ち”の状態になる。この種落ちの時が本捏開始の好期である。

本捏
一、材料の配合
 ・酛種:9リットル
 ・小麦粉:33kg(この内、手粉が700g)
 ・白砂糖:800g
 ・食塩:330g
 ・脂油:600g
 ・温水:10リットル(小麦粉により量を変える)

二、作業方法
温水を捏槽に入れて砂糖と食塩を加えて溶き、酛種9リットルを全て篩(ふるい)で濾しながら注ぎ、撹拌混和した後に小麦粉を加える。小麦粉も全部篩にかけながら加えて、平均的に吸水混和したら脂油を入れて充分に捏ねて混ぜ、作業台に叩きつけてよく捏ね上げる。
作業が終わったら生地全部を発酵袋に容れて発酵させる。

発酵及び瓦斯抜き(瓦斯:ガス)
一、発酵
本捏が終わり、発酵袋に容れられた生地は保温30℃の状態で2~2時間半ほどで適度に発酵膨張して、容積が約2~3倍となる。

二、瓦斯抜
膨張した生地は、これを突き落として原形位に収縮させ、発生した瓦斯を充分に抜去する。
瓦斯抜きは種の種類、強度、小麦粉の性質、混合材料等により変化するが、通常は1~2回行う。

型詰
、作業台に極微粉(記述が無いがおそらく小麦粉)を撒き、この上に生地を取り軽く粉を振り撒く。その後布で覆い、約10分間放置して膨張するのを待つ。

、次に掻取器で生地を370gづつに秤量しつつ切り取る。

、切り取った生地は軽く丸めておき、一焼き分を取り揃えて然る後に型詰を行う。
型詰は、秤量した生地を2分して切り口を内側に向けて両端から巻き込んで丸めた上で瓦斯抜きを行う。その後、細長くして断面を下に向けて2本づつとし、パン型に収める。
パン型にはあらかじめ薄く脂油を塗っておく。

、型詰を終えたものは蒸気を通した焙炉(室温30℃)に入れて置く場合、約40分で生地が型内に充満する。

焼上作業
、焼き上げのため、焼き上げの開始40分前から火入れを準備する

、型詰した生地が竃に入れる前の段階でその頭部が乾燥している場合、霧吹きで湿気を与える。

、竃内は400°F(華氏400度:約204.4℃)とし、これに生地を入れると竃内で生地は6分間しばらく膨張を続け、次の8分間は次第に飛面に焼き色が付き、最後の6分間はパン内部に完全に焼きが通るといった具合に、約20分間を標準として焼き上げを終える。

、焼き上げが終わったものは型から抜き取り、水刷毛(みずばけ)でパンの頭の部分を濡らして光沢を出す。薄い砂糖水を使用すれば、光沢を更に良くし、外頭部の皮に甘味を付けて食べやすくする事ができる。



二、純乾燥酵母種製パン法
純乾燥酵母を使用した直捏式による製パン法

酵母の使用前準備
純乾燥酵母は使用前に種起こしを行う必要がある。その要領は以下。
一、材料の配合
 ・純乾燥酵母:300g
 ・温水(25℃) :3リットル
 ・白砂糖:50g

二 、製法
前記温水中に砂糖をよく溶かし、これに純乾燥酵母を加えて充分かき混ぜる。
40分間で発酵が起こり酛種を得られる。

本捏
一、材料の配合
 ・酛種:4リットル
 ・小麦粉:33kg
 ・白砂糖:900g
 ・食塩:300g
 ・発酵促進剤:75g
 ・脂油:600g
 ・温水:約16リットル

二、作業方法
粗乾燥酵母種の要領に準ず
発酵促進剤は砂糖と食塩と同時に溶くことに注意し、純乾燥酵母と直接混ぜないように注意すること。

発酵及び瓦斯抜き
発酵促進剤を使用した生地は捏込の初期に膨張が少なく、型詰の時期に最も膨張が旺盛となる特徴を持つ。そのため、促進剤を使わないものとは瓦斯抜きの時期が異なる。
瓦斯抜きは大体以下の時間に行う。
第一回瓦斯抜き:捏ね上げ後1時間~1時間20分
第二回瓦斯抜き:第一回瓦斯抜き後40分間
第三回瓦斯抜き:第二回瓦斯抜き後20分間

型詰及び焼き上げ作業
粗乾燥酵母種の要領に準ず


以上がパン焼車使用における製パン法である。パン焼車以外での製パンもこの製パン要領に準じて行う。
文章は、原文の雰囲気を維持し、できる範囲内でわかりやすくなるように調整した。


この製パン法、ごく一般的な製パン法とそれほど大きな差はないと思われるので、糧友会が一般向けに出した、
・『製パン教程』(1939)
・『農村パン、菓子、麺類の作り方 : 農村小麦粉加工調理法』(1935)
も参考になるだろう。

また、アジア歴史資料センターにも各種製パン法についての資料がある。
「製パン」で検索を掛ければそれなりに出てくる。
例えば、
『戦時体制化のパン科学:JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C14110495800、主食に関する陸軍糧秣研究資料綴 橋本史料(防衛省防衛研究所)』

『電気製パン法に就て:JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C14110496700、主食に関する陸軍糧秣研究資料綴 橋本史料(防衛省防衛研究所)』
といった具合である。

ちなみに「主食に関する陸軍糧秣研究資料綴 橋本史料」(Ref.C14110493200)は、パンを含めた主食関連の資料を取りまとめたもの。内容は色々で多岐に渡る。一度目を通してみてはどうだろうか?