2014年12月29日月曜日

対砲兵戦に関する戦史的講話(三)


 一九一八年三月二十一日より七月十五日に到る、独軍第一次乃至第五次の攻勢となるや、独軍は弱点攻撃(滲入戦法)を採用し、夜間の展開、毒瓦斯及び無試射に依る準備砲撃の短縮、時刻及び第一線歩兵大隊長の要求に依る、火光信号に依る弾幕躍進距離の増大(二百米)、砲兵の躍進(歩兵一連隊に野砲一中隊を附す)、弾薬補充の重視、生々溌剌たる独断先制の推奨、砲弾の直接利用等に依り、大なる成功を収めたり。此の間、師団砲兵は全部直協砲兵群、軍団砲兵は対砲兵戦に任ぜしむ(仏軍亦同じ)。

対砲兵戦に関する戦史的講話(二)


 一九一六年二月、独軍がベルダン要塞に対し突如攻撃を開始し、「砲兵は最大限に活動し、歩兵は最小限に消耗す」との主義の下に、大巨砲を網羅せる独軍砲兵が射撃精度を第二義とし、簡略なる射撃修正(狭小なる夾叉〈※原文では夾又〉濶度)の下に地帯に対する集中射撃を実施するや、仏軍の驚愕極度に達し、将に独軍に戦勝の栄冠輝くかを思わしめたり。

 然るに、仏軍は之が対応策として歩兵の正面に野砲を以って阻止射撃を実施し、次いでベルダンに於いて仏軍攻勢を取るに至るや、茲に始めて移動弾幕射撃を創案実施し、攻撃成功せしを以って、該法は歩砲協同の最後の解決なりとの思想を抱くに到れり。

対砲兵戦に関する戦史的講話(一)

 昭和最初期の砲兵戦術講授録に記載されている、宝蔵寺砲兵少佐(当時)による『對砲兵戰ニ關スル戰史的講話』は、第一次世界大戦期の対砲兵戦の変遷について簡便にまとめられており、その方面の参考としては好適に思えるので、これを読みやすいようにカナをはひらがなに、旧字体は新字体に直し、句読点と一部の漢字には送り仮名を追加した。

以下、『對砲兵戰ニ關スル戰史的講話』本文

2014年12月21日日曜日

日本軍 近代の歩兵戦法 (三)

戦闘群と疎開戦闘

疎開戦闘方式への転換

大正十二年に発布された歩兵操典草案から陸軍の採用する旧来の散開戦闘方式疎開戦闘方式へ移行することとなった。

2014年12月10日水曜日

消えた自衛隊



昭和15年(1940年)、昭和13年の作戦要務令の制定及び編成装備の改正、日中戦争の経験などを反映する目的をもって輜重兵操典が改正される。 このとき、それ以前の輜重兵操典に記述されていた部隊が消え去った。それが「自衞隊」である。(新字体なら”自衛隊”である)

輜重兵操典中の記述

改正に伴って消えたと言っても、操典中にその「自衞隊」について書かれた部分は元々それほど多くはない。具体的にその記述されているところを挙げれば以下の通り。

第三篇 輓馬及駄馬教練
   第二章 中隊教練      第二節 小隊及中隊 第五款 自衛隊ノ集合
   第四章 行李、輜重ノ行動  第四節 自衞

※輓馬:荷物を積んだ輜重車などを曳く馬のこと
 駄馬:荷物を背中に載せて運ぶ馬のこと

見落としがなければ以上の部分に記述されているもので全部である。
それでは実際に輜重兵操典の記述を見てみよう。

第四章 行李、輜重ノ行動  第四節 自衞

第三百八十 危險ナル地方ヲ通過スルニ方リテハ豫メ自衞隊ヲ編成スルヲ要ス
自衞隊ハ將校ヲシテ指揮セシムルヲ可トス時トシテ大行李、輜重ノ指揮官自ラ之ヲ指揮スルヲ要スルコトアリ而シテ其兵力ハ當時ノ狀(状)況ニ依ルモ之ヲ編成シタル爲大行李、輜重ノ行動ニ支障ヲ生セシメサルヲ要ス
自衞隊ハ人員ノ多少ニ應シ之ヲ一若ハ數箇ノ小隊ニ編成シ爲シ得レハ之ニ所要ノ乗馬兵ヲ配屬シ又要スレハ衞生部員ヲ附ス而シテ二箇以上ノ小隊ヲ 同一方面ニ使用スルトキハ之ヲ統一スルコト必要ナリ

※大行李:人馬の食糧その他を積載した輜重兵の車両部隊
 輜重:弾薬や糧食等の軍需品の総称。これを輸送する部隊のことも指す

輜重兵操典には以上の様に記述されている。
運用法などはこれ以降の部分に記述されているが、少しわかりにくいと思われるので、
最新図解 陸軍模範兵教典』という書籍中の自衞隊について解説している部分を引用する。

『大行李や輜重は、第一線部隊よりずつと後方を前進し、且抵抗力が弱いから敵の騎兵、義勇兵、敗殘兵、飛行機等に襲はれ易いから、自衞隊を編成して中隊や大行李の先頭か、中央か、後尾に位置させ、時として斥候を派遣して警戒しながら前進する。此の自衞隊は分隊長、班長、豫備員で編成するのである。』(帝國軍人教育會,1939,p.840)


右は行軍時における自衞隊の配置の例である。
自衞隊の主体は豫備兵だが、必要に応じて馭兵も加える事がある。通常、豫備兵は銃を携行しており、場合によっては手榴弾が支給されることもある。
特別なことがなければ、銃(おそらく三八式騎銃)と(支給された場合)手榴弾が自衞隊の基本装備である。

※予備兵: 補助兵、古くは豫備卒とも。銃を携行しており、他の輜重兵のように馬は曳かず、車両の後方で積み荷の監視等を行う。


この輜重部隊の自衛力であった自衞隊は輜重兵操典の改正とともに操典から姿を消す。戦闘に関する教練は歩兵と似たような内容となった。軽機関銃の運用の追加、小隊止まりだった徒歩教練は中隊教練まで行うこととなり、輓(駄)馬/自動車中隊には徒歩小隊一箇が編成され、この小隊が自衞隊に替わって戦闘を行う形となった。
以後、「自衞隊」という単語は操典改正以後、その名前を見かけることも稀となる。


参考文献

・田尻隼人 翻刻発行兼印刷 『輜重兵操典』(武揚社出版部,1935)
・軍用図書出版社編集部 編集 『縮刷野戦輜重兵必携』(軍用図書出版社,1941)
・陸軍省徴募課 編纂 『野戦輜重兵小隊長必携』(帝国在郷軍人会本部,1933)
・帝国軍人教育会 編 『最新図解 陸軍模範兵教典』(帝國軍人教育會,1939)

2014年12月6日土曜日

日本軍 近代の歩兵戦法 (二)



疎開隊形の採用


1914年に第一次世界大戦が勃発し、機関銃の猛威や戦車・毒ガス・航空機等の新兵器の登場に加え大規模な塹壕戦など、戦闘に関することで変化した点は枚挙にいとまがない。
その中でも砲火が猛威を振るい、例えば戦傷について見ても英仏軍共に砲創が7割以上英軍:銃創25%/砲創75%
仏軍:銃創21%/砲創79%
軍陣外科学教程(昭和15)による
を占めている。
大戦後各国は戦争の教訓を基に新戦法世界大戦ノ戦術的観察 第3巻,p.124
(前略)十七年九月十日発布仏軍大本営教令ニ
歩兵半小隊ヲ以テ歩兵ノ最小戦闘単位トナシ
此ノ内ニ軽機関銃手ト小銃手ヲ編入シ
是等小単位ノ機宜ニ適スル敏活ナル運動並ニ
戦闘ニヨリ某小範囲ノ戦闘ヲ独力ニテ遂行セントスルニ至リ歩兵戦術ハ茲ニ根本的ニ変化スルニ至リタルナリ
の導入や軍の整備を行う事となる。もちろん日本陸軍も例外ではなく、列強に遅れまいと何とかして軍の整備を行うのだが、当然のこととしてそれに合わせて歩兵操典も改正する必要が生まれる。

2014年12月3日水曜日

戦略・戦術・戦法その他 用語の解

戦略、戦術、戦法、それぞれはもちろん違う意味を持っているが当時の認識はどうだったのか。
現在の語句が指す意味と違うかも知れない。そこで一参考として『典範令用語ノ解』からいくつか用語及びその解説をここに記載する。

【戦略】

用兵法即ち戦争の目的を達するが為に大兵を運用する方策方は木版をいい、策は竹簡(竹のふだ)をいう。
方策は記録、文書。転じて、はかりごと。てだて(手段)
であって、多くは画策(はかりごとを立つること)に属するものである。

2014年11月29日土曜日

日本軍 近代の歩兵戦法 (一)

日露戦争時の攻撃陣地

明治後期の戦闘方式

 明治期の戦闘は時期ごとに違いはあるものの、概ね密集隊形で運動し、敵火を受ける前に散開隊形に移り散兵線を作り、射撃を行いながら敵との距離を詰めていき、最終的には突撃でもって戦闘を終えるという流れである。以下、基本的に明治42年の歩兵操典を基に記述。

2014年11月23日日曜日

日本軍 近代の歩兵戦法 序

昭和十五年 歩兵操典 綱領


典範令と歩兵操典

典範令は操典・教範・要務令その他を総称したもので、歩兵操典は典範令でいう典にあたる。
この典範令に関して、作戦要務令では綱領第十一、各操典では綱領第十二に「戦闘ニ於テハ百事簡単ニシテ且精錬ナルモノ能ク成功ヲ期シ得ベシ典令ハ此ノ趣旨ニ基キ軍隊訓練上主要ナル原則、法則及制式ヲ示スモノニシテ……」と記述されている。
  典範令用語ノ解[作戦要務令ノ部](田部 聖・奥田 昇 共編)によると、

原則】は「兵語にては戦闘原則のこと(中略)本令第二部に示すものは全部之に属す。」

法則】は「戦闘原則を実施する為必要な定めである。例えば本令第一部及第三部の大部分の事項はこれに属する。」

制式】は「原則、法則を実施する為の一定の形式及動作をいふ。各操典及教範に示されたる事項の大部分は之に属す。」

と解説されている。※本令は作戦要務令のこと


また、昭和十五年印刷 『戦術学教程 巻一』にも【操典ノ制式】、【操典ノ法則】、【戦闘原則】の兵語の解が記載されている。

「操典ノ制式トハ操典ニ規定セラレタル一定ノ形式及動作ヲ謂フ」

「操典ノ法則トハ戦闘原則実施上必要ナル法則ナリ例ヘバ歩兵大隊展開ヲ行フニハ之ヲ第一線ト予備隊トニ区分スルガ如シ」

「戦闘原則トハ戦闘ヲ有利ニ導ク為最モ適切ト認メラルル兵力運用ノ方策ヲ謂フ」 
※【戦闘原則】の兵語の解の記載は上述、典範令用語ノ解の【原則】の解説の中略部分とほぼ同じ

これらの解説から、『操典』や『教範』はより上級の運用規範である『作戦要務令』に記述されている、兵力運用を実行するために必要な諸要素(教練等)の教本であるということがわかる。

このため、旧軍の戦術を十分に理解するためには、当たり前のことではあるが、各種操典から各種教範を経て戦闘綱要なり作戦要務令まで数多くの教本を読む羽目になる。

さらに言えば、典範令を読んでみれば直ぐにわかるが、これらは事細かに各種事項を記述しているわけではない。歩兵操典一つ取っても副読本は必須である。

そこで、まずは基礎となる歩兵操典を扱いたい。
明治42年の歩兵操典から昭和12年の歩兵操典草案までを触れる程度に扱った後、改正から終戦まで運用された昭和15年の歩兵操典を各条項ごとにある程度詳細に見ていこうと思う。

まずは明治42年の歩兵操典(第一次大戦以前の戦闘法について)⇒近代の歩兵戦法(一)