2016年2月12日金曜日

六年式山砲?

歩兵砲教練ノ参考(分隊基本) 第壹巻(陸軍歩兵学校,1939)という書籍を読んでいた時の話である。
本書籍は題名の通り歩兵砲(「四一式山砲」、「九二式歩兵砲」、「九四式速射砲」)の教練の参考書で、『歩兵教練ノ参考』なんかと比べればふんだんに写真や図が使われていたりして面白い。
久しぶりに読み返しているとp.159の註に「六年式山砲」なる見慣れない砲の名前が。
この註(※注)は標準後坐長について触れた箇所で、

四一式山砲
八七◯粍ー九二◯粍
六年式山砲
八八◯粍ー九◯◯粍

とある。

2016年2月10日水曜日

軍隊精神教育

昭和15年『歩兵操典』綱領

第六 軍隊は常に攻撃精神充溢し志気旺盛ならざるべからず
攻撃精神は忠君愛国の至誠より発する軍人精神の精華にして鞏固なる軍隊志気の表徴なり武技之に依りて精を致し教練之に依りて光を放ち戦闘之に依りて勝を奏す蓋し勝敗の数は必ずしも兵力の多寡に依らず精錬にして且攻撃精神に富める軍隊は克く寡を以て衆を破ることを得るものなればなり」

昭和4年『軍隊教育令』綱領

軍隊教育の目的は軍人及び軍隊を訓練して戦争の任に当らしむるに在り而して戦争の為緊要欠くべからざる要素は堅確なる軍人精神並厳粛なる軍紀たり故に軍隊教育は此要素を涵養(かんよう)するを以て主眼とす
夫れ生を棄て義を取り恥を知り名を惜み責任を重んじ艱苦(かんく)に堪え奮て国難に赴き悦んで任務に斃るるは我が国民の古来継承尊重せる大和魂にして特に軍人に必須の資性なり故に軍隊教育に於ては此国民性を砥砺(しれい)拡充し以て事実上に其成果を発揮せしめざるべからず」

昭和15年『軍隊教育令』綱領

第一 軍隊教育の目的は将兵を訓練して百戦必勝克く宏猷(たいゆう)を扶翼すべき軍隊を錬成するに在り而して此の目的達成の為緊要欠くべからざる要素は堅確なる軍人精神並に厳粛なる軍紀たり故に軍隊教育は此の要素を涵養するを以て主眼とす」

昭和9年『軍隊内務書』綱領

軍人精神は戦勝の最大要素にして其の消長は国運の隆替に関す而して名節を尚(とうと)び廉恥を重んずるは我武人の世〻砥砺せし所にして職分の存する所身命を君国に献げて水火尚辞せざるもの実に軍人精神の精華なり是を以て上官は部下をして常に軍人に賜りたる勅諭勅語を奉体し我国体の万国に冠絶せる所以と国軍建設の本旨とを銘肝し且兵役の国家に対する崇高なる責務及名誉たることを深く自覚せしめ苟(いやしく)も思索の選を誤るが如きことなからしむべし而して精神教育は唯精神を以て教育するを得べく百の言辞は一の模範に如かず上官先ず至誠を以て之に臨み身を以て部下を感化することを期すべし」


旧軍の典範令その他に溢れる『軍人精神』という記述。
そもそも軍人精神とは一体どのようなものなのか?
軍人勅諭(明治15年)を見てみると、

「右の五ヶ条は軍人たらんもの暫も忽(ゆるがせ)にすべからずさて之を行わんには一の誠心(まごころ)こそ大切なれ抑(そもそも)此五ヶ条は我軍人の精神にして一の誠心は又五ヶ条の精神なり…」

軍人勅諭の「五ヶ条」というのは、以下の「」から始まる条文である。(各条の本文は省略。下の文は解説のようなもの)

一 軍人は忠節を尽すを本分とすべし

「君に事(つか)うの道を忠と謂う、忠とは君に事えて誠意信実を尽すの名である。節とは竹に節あるが如くに吾心に斯くと思い定むる節操を謂うのである。

忠節を尽すとは如何なる事かと云うに、我が一命を惜まず君の為めには何時でも死ぬ事を厭わぬという心得である。此心得を常々軍人は其本分とせよとの聖訓である。」
(『軍隊精神教育資料』,pp.495-496)

一 軍人は礼儀を正くすべし

「人を尊び人を敬う之を礼と謂い、我が分を守り、我が行いを慎む之を義と謂う。礼儀を正しくするとは、下級の者は上官を尊敬し能く其命令に服従するを謂うのである。又上官たる者は下級の者に対するに専ら慈愛の心を以てし、驕らず侮らず能く之を敬愛するを謂うのである。」
(同上,pp.545-546)

一 軍人は武勇を尚ぶべし

「武勇とは正義に従い危難を避けず、事に臨んで勇猛果敢なるを謂う。此の性情は我国民の特有にして又我建国の本旨である。而して我国民の勇猛果敢なる性情の母は即ち大和魂に他ならない。而して彼の中世以降武士道と云う一種の気風を部門武士の間に養成して来たのは、取りも直さず武勇を尚びたるに因るのである。」
(同上,pp.579-580)

一 軍人は信義を重んずべし

「信とは己れが口に発した言葉を間違なく実行するのを謂い、義とは人に対して己が本分を尽すを謂う。若し約束に背き己が言葉に違うときは之を食言と謂い、甚だ鄙(いやし)むべきものであるばかりでなく遂に遂に他人が我を信用しない様になる。」
(同上,p.625)

一 軍人は質素を旨とすべし

「質素とは華美を好まず、奢侈(しゃし)に流れないことを謂う。勤倹以て身を修め節約以て家を斉(ととの)う、是れ軍人の本領である。
軍人の生活は只寒暑風雨に堪うるのを以て足れりとせねばならぬ。若し軍人であって華美を好み奢侈に流れるときは、飲食には忽ち好悪を生じ、衣服にも住居にも軽暖華美を好み、軍人の本分たる戦時の実用に遠ざかり、遂に困苦欠乏に堪えない軍人と成り、又寒暑風雨に堪えない軍人と成るであろう。警(いまし)めねばならぬ事である。」
(同上,pp.651-652)


『勅諭の末文に「抑此五ヶ条は我軍人の精神にして一の誠心は又五ヶ条の精神なり」と御諭になった。即ち勅諭の忠節、礼儀、武勇、信義、質素が軍人精神である。この精神は建国以来我が国に伝われる武士道に外ならぬ。』
(『軍隊精神教育の参考』,1941,p.79)


どうやら『軍人勅諭』の「五ヶ条」が軍人精神を示しているらしいことはわかった。
今度は、昭和15年『軍隊教育令』の精神関連の記述を見てみよう。

第四十二 精神要素の涵養は教育の神髄にして寤寐(ごび)の間も忽(ゆるが)せにすべからざるものなり故に教育に任ずる者は予め企画すると共に凡百の機会とを捕捉して之が涵養に勉むるを要す」

第四十三 勅諭及勅語は実に精神要素涵養の本源なり故に時と所とを論ぜず機に触れ物に毎に聖旨の存する所を訓諭し之を脳裏に銘刻せしめ以て拳々服膺(けんけんふくよう)実を現さしむるを要す」

第四十四 国体の特長就中(なかんずく)建軍の本義及皇室と臣民との関係を明かにするは忠君愛国の信念を益〻鞏固ならしむる所以にして又国防に関し的確に理解せしむるは己の責務を自覚し彌〻奉公の念を堅くせしめ得るものとす」

第四十五 凡そ精神要素の涵養は幹部にして率先範を垂るるにあらざれば其の目的を達し難し乃(すなわ)ち幹部は百の言辞は一の垂範に如かざることを銘肝し絶えず修養研鑽を積み奮って難局に当り進んで実践の範を示し黙々の間部下を薫化(くんか)し其の景仰の中心たるの域に達せざるべからず」

第四十六 精神要素の涵養は実地に鍛錬陶冶(とうや)するを主眼とす而して日常生起する有ゆる事象は一として之が企画ならざるはなし就中(なかんずく)周到適切に企画し整生厳格に実施する教練は実に軍人精神を鍛錬し軍紀を振作するの要道なり而して諸般の演習、内外の勤務並(ならび)に行住坐臥(ぎょうじゅうざが)の間薫化して懈(おこた)らざるは亦之が涵養に欠くべからざるものとす斯くの如くして彼此相応じ表裏兼該し始めて能く軍人精神並に軍紀の涵養を期し得るものとす」

第四十七 訓話は精神要素涵養の有力なる一手段なり而して訓話資料の選択に方りては被教育者の素質と心情とに適合する如く工夫し訓話の実施に方りては能く其の本旨を会得せしむる如く平易直截(ちょくせつ/ちょくさい)に説示し且勉めて感激と印象とを深刻ならしめ終には鞏固なる信念たるに至らしむると共に実践躬行(じっせんきゅうこう)に依り具現体得せしむるを要す」

第四十八 典令の綱領、我が国粋たる古今の史実、光輝ある国軍の偉績就中所属団隊の戦績若くは先輩、戦友の建てたる勲功等は精神要素涵養の為重要なる資料なり故に懇切に之を説明被教育者の自覚を促し其の識見を高尚にし且躬行の規範を与うることに勉むべし」

第四十九 軍人精神の涵養は実践躬行せしむるに始り之と説示とを反復して聖旨の存する所に帰一せしめ更に鍛錬を加え終には一挙手一投足の微に至る迄軍人たるに背馳(はいち)せざるに至らしめざるべからず」


これらの記述を見ると精神教育には、

周到な訓練
『軍人(軍隊)をして自己の確乎たる信念を涵養せしむる。必勝の信念は軍の光輝ある歴史に根源し、周到なる訓練を以て之を培養せしめなければならぬ。
射撃に就ては一弾一敵を斃すの技倆は平時の基本射撃に於て訓練し自信を持たしむ。剣術に於て機先を制し斬撃を以て常に勝利を得るの信念を持たしむれば、俄然敵に遭遇するも聊(いささか)も狼狽することなく、克く任務を遂行することが出来る。』
(『軍隊精神教育の参考』,p2)

幹部の率先躬行(率先垂範)
『率先躬行も可なり。吾人は乃木大将、橘中佐でないから中々容易の業でない。幹部は「独慎」の精神に則り居常(きょじょう)俯仰不愧天地(ふぎょうてんちにはじず)の模範的行動によって始めて其の効果を得ると思う。
要は「人を見て法を説け」の要訣を忘れてはならぬ。』
(同上,p.3)

訓話
『訓話者は常に被教育者の立場に立ち脳力を判断し之に適切なる如く計画するを要する。高尚な理解し難い話は効果が少いのみならず却って惰気を催し価値を失うことがある。
予め訓話の計画を立案し順序方法を究め被教育者の気分転換の為には時々諧謔(かいぎゃく)を加えるも必要である。要は趣旨、要点を脱さぬことである。』
(同上,p.3)

といった手段による教育方法があったようである。
訓練に限らず、精神教育の場は軍隊生活全般に渡るので、これら以外にも様々な方法はあると思われるが、 典範令等から読み取れる代表的な精神教育の方法はこの3種類。

今一度『軍隊教育令』の記述を見てみると、「軍人精神」の他に「精神要素」という単語が見られる。
この「精神要素」は、各種資料での記述から判断すると、『軍人勅諭』の「五ヶ条」そのものでは無いようだ。
例えば、『歩兵教練ノ参考(各個教練) 第一巻』(1942)の本文巻頭、開口一番このような記述がある。

常に精神要素の涵養に留意するを要す
事変の教訓に鑑みるに近代歩兵戦闘の惨烈性、戦闘継続期間の増加等は充溢せる攻撃精神、鞏固なる意志、熾烈なる責任観念、不撓不屈(ふとうふくつ)の熱意等各種精神要素の涵養を益〻必要とするに至れり之を以て苟も教練を実施するに方りては終始之が養成に留意するの外特に精神要素涵養を目的とする教練を実施すること緊要なり之を例せば左の如し

1、教練の指導に方り同一課目を長時間又は長距離に亙り厳正に実施せしめ或は困難なる地形及気象を克服せしめ以て堅忍持久(けんにんじきゅう)の精神を養成す

2、戦闘各個教練の実施に方り負傷の状況を与え自ら救急の処置を施しつつ戦闘を続行せしめ仮令(たとい)負傷するも俄然戦闘を持続するの精神を養成す

3、突撃の際指揮官若くは戦友に後(おく)るるが如きは最大の恥辱なるを銘肝せしむると共に断乎として独断突入すべき状況を作為して指導し攻撃精神特に率先突入の精神を養成す

4、夜間行進方向を維持して某地点に到着すべきを命じ若し到着せざるときは幾回にても反復実施せしめ以て責任観念を養成す

歩兵教練ノ参考(分隊) 第二巻』(1942)も第一巻と同様に、精神的要素の涵養についての記述が本文の始めにある。

精神的要素の涵養(二、一◯ノ二)
1、教練を以て軍人精神鍛錬の重要機会たるの趣旨を上下に徹底せしむること就中(なかんずく)教練の終始を通じ時と所とを問わず熾烈なる責任観念の養成に勉め一切の泣言文句を言わず常に積極溌剌不撓の熱誠を以て忠実に黙々として責任を果す者にして初めて克く光輝ある戦果を収め得るの意を徹底すること

2、常に綱領精神の涵養発揮に勉むること特に今次事変の経験に徴するに下級幹部以下は一層堅忍不抜(けんにんふばつ)克く困苦欠乏に堪うるの気力体力を鍛錬し難局に処して攻撃精神愈〻旺盛にして鞏固なる意志を以て百折不撓(ひゃくせつふとう)勝つ迄戦うの持久力を養うこと

3、幹部率先範を垂れ軍隊の儀表として其の尊信を受け部下をして自ら誠意奮励する如く指導すること

4、適時貴重なる戦史戦例を引用し部下をして一層自覚自奮せしむること

5、戦闘間兵一般の心得を特に計画的に演習に織込みて指導し具体的に且深刻に教育すること必要なり従来機会教育にのみ之を委したる傾向あり

第一巻の「充溢せる攻撃精神、鞏固なる意志、熾烈なる責任観念、不撓不屈の熱意等各種精神要素の涵養を益〻必要とするに至れり」という記述を見ると、「攻撃精神」、「鞏固なる意志」、「責任観念」、「不撓不屈の熱意」といったものが「精神要素」であるようだ。

第二巻では「綱領精神」という用語が出てくる。
ここでいう「綱領」とは、各兵科の『操典』と『作戦要務令』の綱領のことである。
作戦要務令』と各兵科の『操典』の綱領は一部(各兵科の操典の第11条は各兵科の本領についての条項となっている)を除いて共通のものとなっている。

ひとまず、綱領中に記述のある「精神要素らしきもの」を拾ってみると、

必勝の信念(第2,3)軍紀(第2,4)攻撃精神(第2,6)忠君愛国(第3,6)共同一致(第7)堅忍不抜(第8)責任観念(第10)鞏固なる意志(第10)

歩兵教練ノ参考』第一巻で見た「精神要素らしきもの」と同じものがチラホラ。

歩兵小部隊 戦闘教練 陣中勤務 実戦指導計画(1944,pp.11-12)にはこのような記述がある。

「演習を以て軍人精神鍛錬の重要機会である趣旨を一兵に至る迄徹底せしめ、典令の綱領に示す各種精神要素の中の何れかを捉えて、之を涵養すべく努めることが必要であるのだが、...」

本書は教練の計画案を掲載した書籍である。
収録されている計画案には、その教練で鍛錬される精神要素が記載されているが、これも概ね綱領に示されているものと同様である。
(犠牲的精神旺盛なる企画心積極的職責の遂行等、綱領に無い要素もある。必ずしも綱領に記述のあるものとは限らないようである)

先ほど抽出してみた「精神要素らしきもの」は、どうやら「精神要素」そのものであったようだ。


旧軍の3つの精神教育法である「周到な訓練」・「幹部の率先躬行」・「訓話」の内、「周到な訓練」と「幹部の率先躬行」は、現実的な精神教育法である。
周到な訓練」とは、つまり、ひたすら訓練を行うことである。
訓練を何度も行って、各種動作や射撃技能、判断力を養い、優れた技能等を持たせる。
その優れた技能等を持つことから発生する自信や誇りが「精神要素」の「必勝の信念」や「攻撃精神」等に繋がるわけである。

幹部の率先躬行」は、指導者や指揮官である上官等、幹部が兵の模範であれ。ということであり、精神教育にあたっては、幹部がその身をもって「精神要素」・「軍人精神」を兵に示せということである。

軍人勅諭』や典令が要求する事をありのまま適用した上で、この2つの精神教育がマトモに機能していたのであれば、軍人精神や各種精神要素を体現する、尊敬の念を抱けるような、模範的な上官および幹部による、綿密で周到な、かつ熱心な訓練が行われていたはずである。


主要な精神教育方法は3つあった。
その内の2つは上で触れたので、残るは「訓話」のみである。

では「訓話」はどのように行なうのだろうか。
一例を見てみよう。

軍隊精神教育の参考(p.5-7)

第四章 精神訓話の実施
精神教育は予定(臨時)に基き実施する場合にも効果あらしむるが肝要である。

一、日取
日取に就ては予定に基き計画し変更しない方が宜しい。月四回、毎週一回を可とす。実施に方り繰越し、遡りて実施するが如きは計画の杜撰(ずさん)を暴露するもので精神教育上其の効果をを失う。

二、時刻
精神の平静状態の時を選定するを可とする。殊に初年兵第一期間は全員出場し得るを以て午前教練開始前を可とする。第二期以後は成るべく多く集合し得る時間土曜日午後(検査終了後)を可とする。

三、場所
話題により場所を選定することが必要である。神社前、陸軍墓地前にては兵の頭脳に感慨の念を起さしめ訓話の趣旨を徹底せしむるを可とす。通常内務班を可とす。教官の臨席前集合準備携行品を点呼すること。

四、訓話方法
1、断言的に話すこと
如何に明快に流暢に話すとも被教育者の脳裏に徹底せしめる為には断言的でなければ何を聞いたか薩張(さっぱ)り不明のことがある。教官は兵の素養の程度を理解し居れば曖昧な言葉を避け、兵に懐疑の念を起さしめてはならぬ。之が為断言的を可とする。

2、真剣な態度
講話者の態度如何は直ちに内容に価値を及すものである。壇上に立ち悠然と構え、話題に入り諄々(じゅんじゅん)と説き及したなら、兵は克く脳裏に徹底するであろう。四角四面に固くなり、兵も謹聴(きんちょう)して居るのでは却って訓話がお叱言を受けて居るのと誤り価値が少かろう。

3、話は論理的に
話題に基き論理的に進めるのが宜しい。自己の実戦談などが飛入して話が横の道に入り遂に収拾し得ざることがある。最初に順序方法を考え断言的に話説するが如く実施が必要である。

4、勅諭に帰納すること
総て精神教育は其の本源たる勅諭に帰納することが肝要である。例えば兵の剣術に元気がない、勅諭武勇の条項に合致しない、贅沢な物品を見て質素の観念に欠けている、などと勅諭の精神に還元せしむるを要す

五、訓話実施後の監督
軍隊は不言実行である。班長は点呼立会の際、上官の訓話の徹底如何を監督するを要す。脳力不十分な兵には時々質問し、誤解を正し、或は居室に呼び、特に懇切に教うるなどの手段を施し之が励行如何を監督するを要する。

以上は精神教育に関する私見であって、微細の穿鑿(せんさく)に亙(わた)らず梗概(こうがい)を述べたに過ぎない。取捨選択に就ては大方の叱正を乞う。

これが「訓話」の方法その他の一例である。
訓話」を行う日取や時刻等に関する記述があったが、これは「計画的な訓話」に関しての話で、計画的で無い、つまり機会を見て適時に行われる「訓話」もある。

同書の序言を見てみよう。

『凡そ軍隊教育中精神教育ほど至難にして最も重要なものはあるまい。河を越え、任務の遂行に邁進する底の精神は常に涵養せしめねばならぬ。之が為には「勅諭」を経(たていと)とし各典範令の綱領を緯(よこいと)とし部下の脳裡に徹底する如く教育することが肝要である。
、一般教育。入営当初は兵の境遇一変し、万事新しく生れ変るので、其の淳朴な精神は克く上官の訓示を直ちに之を受け入れる。其の効果も亦大である。

、機会教育。一般教育の他、機会を捉え、各個人につき諄々説き及ぼしたならば、相当の効果がある。之が為には順序方法を予め考察準備せねばならぬ。之に反し事理を極めず、徒らに叱責する如きは、却って兵の反抗心を喚起し、遂に教官に対し怨府(えんぷ)を醸す基となる。

、垂範教育。国軍の楨幹たる将校は常に活模範を垂れ、仰いで以て之に則らしむる事が必要である。之が為には挙止端正、態度厳正、言語明晰苟も蔭日向のある行動あるに於ては、精神講話は其の価値を失う。

要は兵の心の琴線に触れ、彼等の享受せる印象を深川ならしむのである。人を見て法を説け、極めて俗人に入り易き卑近な説話を工夫して以て、且つ其の精神を逃さぬ様に会得せしめ、所謂自覚の域に導くことが大切である。』

必ずしも「訓話」に限った話ではないようだが、
定期的、あるいは計画的に行うのが「一般教育」。
機会を見て、その都度必要に応じて行うのが「機会教育」。
垂範教育」は、つまり「幹部の率先躬行」のことである。

今度は「訓話」の中身である。
訓話」では一体どのような話をするのだろうか。

例として『陸軍精神教育資料p.405の「初年兵の覚悟に就ての訓話」を少し見てみる。

「諸子が軍隊に入るのは、我帝国を保護するに必要なる軍人精神を修め、軍人の技倆を磨かんが為めである。而して軍人たるの技倆を得るのは甚しく難しいものではない。歩兵の如きは四ヶ月で大概は教育され、一ヶ年で殆んど兵たる技倆を修得する事が出来る。而して第二年度に在りては多くは第一年度に修得した事柄を復習練磨して熟練の域に進ましむるのである。一年帰休というて一年で帰されるのでわかる。他の兵科でも亦大差はない。然るに軍人精神に至っては修めて際涯なく、養うて極限がない。修むれば益〻深く、養えば愈〻広いのである。故に初年兵たる者は抑〻入営の始めから此の考えを以て軍人精神を修養せよ。軍服を纏い武器を携えても決して我が帝国の真の軍人ではない。何となれば軍人精神のない軍人は、国家万一の秋(とき)に方って困難に遭えば忽ち挫折し危険に瀕すれば忽ち萎縮して、一身を犠牲に供して君国を保護すると云うことが出来ないからである。........(以下省略)」

これは一例であって、実際にはもっと色々な「訓話」が存在するのは当然のことである。
軍人勅諭』の解説や戦記の紹介も「訓話」の題材となる。
有名な爆弾三勇士は「犠牲的精神」の体現であり、これは『軍人勅諭』の「忠節」に繋がる。
日本の国体がいかに世界に冠絶するか。日本の使命とは一体どんなものか。実戦談。軍紀風紀、皇室、靖国神社、戦陣訓等々。
訓話の題材は非常に多岐にわたり、資料も豊富である。
また、その実施も訓練を行ったり、自身が模範的に振舞うことに比べれば(話しをするだけなので)とても容易である。

ここまで見てきた通り、旧軍の精神教育は「周到な訓練」・「幹部の率先躬行」・「訓話」の3つが中心である。
書籍や文書中で精神論を懇々と説いたり、精神的な文言を挿入したり、書籍を精神的な文言で満たすようなものも「訓話」の一種だろうか?

何にせよ、これらの教育法でどれが重要かというのはなんとなくでも分かりそうなものである。
旧軍では、どの教育法の比重が大きかったのか?
それぞれがどの位の割合を占めていたのだろうか?
これに関しては資料不足のため、結局は印象論とならざるを得ないのであれこれ言うことはできないのだが、このような話がある。

兵学入門 ー兵学研究序説ー(西浦進,1975,pp.135-136)

『これに関連して思い出されるのは、私の陸大一年学生当時の恩師、吉田悳将軍の次の言葉である。

「元来軍隊教育は、百戦必勝の軍隊を錬成するのが目的であって、軍人精神の涵養がその主眼とされている。しかして軍の精神的要素を向上せんとするならば、上下挙って一意専心、軍隊の教育訓練に精進してその精錬を期すべきである。この熱意と努力を不問に付し、いかに朝から晩まで精神教育を叱呼し、あらゆる文書に精神的文句を充満せしめたところで、その効果たるや知るべきのみ。……演習そのものの経過中、各種動作について、幾多啓発指導を要する事柄があるにもかかわらず、監督指導の任にある者が、ほとんどそれらを等閑視するというよりは、発見する識量を欠き、講評の大半を、いずれの場合にも通用する無難な精神的事項をもって終始するごときは、これを百万遍繰り返しても、軍隊の実質的価値は上がるものではない。演習場に臨んだ将軍が、おもむろに賞讃と激励の辞を述べ、毒にも薬にもならぬ精神訓話をもって講評に代えるがごとき、かかる道徳的仮面を被った怠け者の逃げ途を閉塞すべきである」と。

要は真に、実力ある指揮官、将帥がなければ、到底精錬強力な軍隊は求め得られないということに帰するのである。』

この言葉はどれ位の範囲に適応されるのだろうか?
軍全体、あるいは多数の部隊でこのような傾向があったのか?
"そこそこ"の数の部隊を指した言葉なのか?
それとも、このような傾向が目に余る特定の部隊を念頭に置いた話なのか......


参考文献

・『軍隊教育令』武揚社書店,1929
・關太常『歩兵全書』川流堂 小林又七,1940
・鷹林宇一『軍隊精神教育資料』川流堂 小林又七,1940
・齋藤市平『軍隊精神教育の参考』尚兵館,1941
・武揚堂編纂部『改正軍隊教育令の分類的註解』武揚堂,1942
・陸軍歩兵学校『歩兵教練ノ参考(各個教練) 第一巻』軍人会館図書部,1942
・陸軍歩兵学校『歩兵教練ノ参考(教練ノ計画実施上の注意 中隊教練 分隊) 第二巻』軍人会館図書部,1942
・川崎音吉『歩兵小部隊 戦闘教練 陣中勤務 実戦指導計画』尚兵館,1944