本書籍は題名の通り歩兵砲(「四一式山砲」、「九二式歩兵砲」、「九四式速射砲」)の教練の参考書で、『歩兵教練ノ参考』なんかと比べればふんだんに写真や図が使われていたりして面白い。
久しぶりに読み返しているとp.159の註に「六年式山砲」なる見慣れない砲の名前が。
この註(※注)は標準後坐長について触れた箇所で、
四一式山砲
八七◯粍ー九二◯粍
六年式山砲
八八◯粍ー九◯◯粍
八七◯粍ー九二◯粍
六年式山砲
八八◯粍ー九◯◯粍
とある。
日本軍の山砲で一般的に運用されていたのは「四一式山砲」と「九四式山砲」の2種類。
「六年式」ということは、大正6年に制式採用された山砲であることを示しているわけだが...
ひとまず佐山二郎氏の『大砲入門』を見てみるもそれらしい情報は得られず。(同氏の『日本陸軍の火砲 野砲 山砲』や『日本の大砲』の方には掲載されているかもしれないが)
誤植の可能性もあるので、ネットで検索を掛けてみると案の定手応えなし...かと思いきや、大本命のアジア歴史資料センターが検索に引っかかる。
『兵器払い下げ並借用の件』
(昭和6年)Ref.C01003953800
誤植などではなく、実在した山砲のようだ。
そのままアジ歴で「六年式山砲」を検索してみると、いくつか資料が引っかかる。
『2.支那軍兵器装備の一般概況』
(昭和6年)Ref.C13032514300
『別表 支那軍兵器一覧表(其3) 野山砲、野戦重砲、高射砲』
(昭和7年)Ref.C13032515000
この2つの資料を見ると、日本製の山砲であり、「四一式山砲」とほとんど同じものであるらしい。
そして、資料の題名の通り、中国軍が装備しているのである。
中国軍がこの砲を装備しているのは、日本が中国へ輸出したから。という単純な話である。
そもそものきっかけである『歩兵砲教練ノ参考』に記述があったように、「四一式山砲」とほとんど同じものであるのなら「四一式山砲」の参考書にも情報が載っている可能性は高いわけである。
ここに来て、『四一式山砲(歩兵用) 取扱上ノ参考』を未だに一度も読んでいなかった事に気付き、国立国会図書館デジタルコレクションでこれを見てみると「六年式山砲」についての記述が普通にあった。
『四一式山砲(歩兵用)取扱上ノ参考』や他の資料の記述を見ると、構造は若干異なるが、性能的には「四一式山砲」とほぼ同様という扱いなので、これはおそらく「四一式山砲」を大正6年頃に改良した砲だろうという目星を付け、その方向で色々と検索を掛けているとようやく発見。
『外国売渡の目的を以て大砲試製の件』
(大正6年)Ref.C03010971900
輸出目的で試作した野砲と山砲、つまり「三八式野砲」を元に試作した野砲と、「四一式山砲」を元に試作した山砲をそれぞれ「六年式野砲」、「六年式山砲」と命名したようだ。(大正6年なので「六年式」)
性能的には大差無いようだが、色々と弄っている様子。
輸出目的で作られた兵器ということは、泰平組合のカタログ辺りに写真があるかもしれない。
何はともあれ、謎の山砲の正体が分かって一安心である。
『外国売渡の目的を以て大砲試製の件』
(大正6年)Ref.C03010971900
輸出目的で試作した野砲と山砲、つまり「三八式野砲」を元に試作した野砲と、「四一式山砲」を元に試作した山砲をそれぞれ「六年式野砲」、「六年式山砲」と命名したようだ。(大正6年なので「六年式」)
性能的には大差無いようだが、色々と弄っている様子。
輸出目的で作られた兵器ということは、泰平組合のカタログ辺りに写真があるかもしれない。
何はともあれ、謎の山砲の正体が分かって一安心である。
0 件のコメント:
コメントを投稿