2015年11月3日火曜日

『萱嶋大佐実戦談摘録』抜粋 (三)

七、追撃

敵は十月二十三日午後十時退却を開始せるを知れるも、二十四日払暁(ふつぎょう)より追撃前進に移る。

大場部隊の追撃

大場部隊は此の際、六百名の補充を受く。現役将校は連隊長、旗手、砲兵隊長のみなり。中隊長集合の際、伍長の来たる中隊あり。
之を二大隊に補充し、第三大隊は其の侭(まま)となす。
大場部隊は、忻口鎮ー太原道を敵に近く追躡(ついじょう)しつつ追撃す。其の疲労甚だしく、四列側面縦隊隊形すら認めず、「ヒョロヒョロ」にて追撃す。敵も亦「ヒョロヒョロ」にて、疲労困憊其の極に達し居たり。

教訓
1、大場部隊追撃は戦闘綱要二◯二の二(※)に依れるものにして、大成功を収め、迂回せし部隊は却って敵の抵抗に遭い、萱嶋部隊の太原北方に来たりしは十一月六日にして、大場部隊より遅延するに至れり。

※戦闘綱要 第2022
『戦闘後ハ勝者ノ疲労モ亦大ナリト雖(いえども)敗者ハ体力、気力共ニ一層困憊シ其疲労ハ殆ト極度ニ達スルモノナルカ故ニ勝者ハ部隊ノ損傷、整頓等ニ拘束セラルルコトナク一意追撃ヲ敢行シ以テ最終ノ勝利ヲ完ウスヘシ此際各級指揮官ハ再ヒ多大ノ損害ヲ払ヒ敵ヲ攻撃スルノ已ムヲ得サルニ至ルモノトス』

八、太原攻略戦闘

萱嶋支隊は、十一月八日払暁迄に敵前四◯◯米附近に攻撃準備を命ぜられ、七日正午出発す。途中道を失し、敵若干部隊と太原東方山地に於いて遭遇。之を撃退し、階段斜面を降下す。幸い、敵の射撃を受くることなく敵前九◯◯米の位置に達す。
重砲中隊の協力を受け、太原城壁東北角附近に二条の突撃路を構成すべく要求し、所要の協定をなす。
八日午前七時頃より砲兵は射撃を開始し、操典草案の如く、各分隊は四◯◯米の距離より各個前進を起す。前進途中、敵の手榴弾射撃を受けたるも其の分隊のみ停止し、他は依然前進し側背より敵を攻撃し之を撃退す。午前八時半、突撃路開設の報を得、各中隊は砲弾に膚接(ふせつ)して突入し、太原城を午前十時前奪取す。
此の際、損害一名もなし。

教訓
1、操典草案に依り、理想的攻撃前進法は此の時始めて体験し、実に気持ちよき戦闘を為し得たり。是迄の戦闘に於いては、兵は地物に蝟集(いしゅう)し幹部に叱責されありしも、此の際は操典草案の通り前進し、砲弾に膚接する突撃を始めて実施し、損害の一名もなかりしを体験し得たり。
是、各隊が戦闘に慣熟せる結果なり。

九、結言

之を要するに、戦闘の教訓として求むべきは、極局操典、要務令、先輩の言の通りに実施せば可なるものにして、失態ありし際は、典令範の実行を怠りしか又は、「ウッカリ」せし時のみに生起するものなり。
又、戦闘の最初に於いて勇猛果敢に敵に突入せる者は生存者多く、戦争慣れをすれば支那軍の迫撃砲弾の如きは避け得らるるものなり。

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