2015年8月5日水曜日

「キ」形散開


徒歩騎兵の特別な散開
昭和18年(1943)に出された『騎兵連隊教練規定』というマニュアルがある。

教訓二十三号
騎兵連隊の教練に関する訓令
騎兵連隊の教練は当分の内本規定に據り実施すべし
昭和十八年五月二十五日
教育総監 山田乙三


と始まり、騎兵の各個教練から連隊+αの訓練に関する事項が並ぶ。と言うと大袈裟だが、なんてことはない。要は新しい騎兵操典のようなものである。 騎兵のマニュアルであるため、乗馬での戦闘に関しても記述があるが、徒歩戦闘に関する事柄の方が多い。
そして、この徒歩での戦闘に関する記述も、歩兵のものとほとんど違いは無く、他の兵科の操典と同じく歩兵操典を参考にしているようだ。ただ、本規定は見出しが付いていたり、文章や構成が若干変えられていて、歩兵操典と比べると格段に読みやすい。
基本的には歩兵操典と変わらないのだが、一つ目に付くのがこの投稿のタイトルとなっている『「キ」形散開』である。

歩兵の分隊の散開といえば、
縦散開(一般分隊、擲弾分隊)
横散開(一般、擲弾)
傘形散開(一般)
筒毎の散開(擲弾)

の4つなのだが、『騎兵連隊教練規定』には前述の「キ」形散開という散開が追加されている。
この散開における兵の配置は上の画像の通りである。

特徴としては、
・他の散開ではっきりとは示されていない狙撃手の位置と存在が図に示されている。
・歩兵操典にない「肉攻手」の存在。
・約30歩という非常に広い兵の間隔。

この散開はなんなのだろうか?
旧軍が1945年頃から一部で導入しようとしていた、「組戦法(分隊よりさらに小さい“組”単位での戦闘を行う)、「滲透戦法(姿なき攻撃前進は即ち地形を利用し、工事を実施し、遮蔽、秘匿しつつ宛然水の滲透するが如き攻撃戦法。一般に浸透戦術と呼ばれている戦法とはまた違うものだと思う)に対応する散開のように思ったが、どうも違うようだ。

本規定の第二百六及び第二百七を見てみよう。

第二百六 分隊長は二、三名づつの肉攻手 肉迫攻撃に任ずる兵を謂ふ を以って肉迫攻撃組を編成し肉迫攻撃を準備す
敵戦車現出するや分隊長は地形を観察し攻撃実施の要領を定め各組の配置、支援の要領等を定む

第二百七 肉迫攻撃に方り分隊長は通常各組に目標を示し適時攻撃せしむ此の際組には通常一戦車を配当するも状況に依り一戦車に数組を配当することあり
組に目標を配当するに方りては先づ敵の先頭戦車或は指揮官戦車を撲滅する如く著意すること必要なり
敵戦車至近距離に近迫して停止し射撃する場合に於ては分隊は進んで之を攻撃す
軽機関銃及狙撃手は随伴歩兵特に戦車に跟随する歩兵を射撃す状況に依り覘視孔射撃を行ふことあり

この文を見る限り、どうも「キ」形散開は対戦車肉薄攻撃用の散開のようだ。

歩兵操典などでは、対戦車攻撃は巻末に附録として収録されており、内容も上記のものと大差ない。
ただ、肉薄攻撃を行う兵は、歩兵操典では「肉攻手」ではなく「肉薄攻撃班(組)」と呼んでいた。
なぜ騎兵の方では名称が変わったのか。理由はわからない。

とはいえ、オマケの記述であった対戦車攻撃が本文の方へ移った。つまり、制式となったわけである。それだけ徒歩兵の対戦車攻撃の必要性が増したという事だろう。

さて、少なくとも私は歩兵関連の教練書等で「キ」形散開に関連することが記載されているのは見た記憶が無い。
歩兵の方が対戦車攻撃に会する機会は多いはずである。
歩兵操典は、「キ」形散開を取り入れずとも、対戦車攻撃が記述される箇所は、附録から本文へと“昇格”するような変更を含んだ改定が行われていてもおかしくないと思うのだが、歩兵操典は1940年以降何ら手を加えられていない。

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