「突撃」は純粋な一般的な戦闘の動作で、戦闘のある一部分の最終局面で行われる行動であり、相手に止めを刺すことが目的である(当然これ以外の目的もあるだろう)。
一方の「バンザイ突撃」は戦闘の最後、相手に一矢報いることを望みつつ「自分」に止めを刺す動作とも言える。玉砕することが主目的であるようにしか見えない。
このバンザイ突撃。戦闘動作としては特殊な動作である。
何しろ、このような死ぬことを前提とした、比較的大規模な突撃に関して記述した典範令というものはないのだ。戦術書にも無い。若干捻くれた解釈ではあるが、戦陣訓でさえも直接的に「最後は突撃して死ね」とは述べていない。何にせよ完全にマニュアル外の戦法である。
バンザイ突撃については深入りせず、この辺でお終いにして、標題の『万歳突撃』の話に入っていこう。
まず、標題の『万歳突撃』というのは一体何なのか?というと、至極簡単。
「万歳」と叫びながら行う突撃のことである。
普通の「突撃」の際に万歳と叫ぶ突撃なので『万歳突撃』。
しかし、万歳と叫びながら行う突撃と言えば、自然とバンザイ突撃の方を思い浮かべるだろう。
『万歳突撃』は、この「バンザイ突撃」との混同を防ぐために“普通の”という言葉を頭につけて『“普通の”万歳突撃』としたほうがいいかも知れない。
歩兵操典等には、突撃時の喊声についての規定というものは存在しない。
一応、訓練の参考書等では「腹の底から出せ」といった注文はあるが、具体的に「ワー」だとか「ウアー」と叫べとは述べていない。つまり、突撃の際の喊声はどんなものでも良いわけだ。
そんな突撃時の喊声だが、昭和7年10月の『偕行社記事第697号附録』にこんな話が載っている。
『……此処にお出でになる武田少将は私が歩兵学校の学生であった時の中隊長で吾々の先生であります。先生を前にして申すことはをかしな話ですが、事実を申上げます。我国の突撃突喊には、どう言へと云うことは書いてありませぬ。即ち喊声は何と言ったが一番宜いかと云ふことを武田閣下が研究されて突込めと言へば万歳と唱ふ。今迄はワーと言ふ、どうも意味がない、それから万歳であるが、私の日露戦争の失敗は敵陣を取ってから万歳と言って居る、嬉しさの餘り万歳を言ふ、之を取る前に万歳と言ったらもっと効果的であろう、剣山=旅順と大連の間にある=を占領してから万歳々々をやったら、今度三方からバラバラやられて沢山の死傷者を出した。此万歳は恨めしい、それよか取る前に突込めの時に万歳々々と云ふことに依ってどれだけ士気が上るかと云ふことは部隊の訓練の時にはいつも言ふて居ることであります。此精神的威力を採用してから非常に効果があった事を確信します。』
どうも戦争末期以前、第一次上海事変の時点で突撃の際の喊声を「万歳」としたほうが良いという話があったようだ。
とはいえ、この万歳突撃。実戦で行われたのか、訓練時だけ行っていたのか、はたまた講話として話されただけなのか、はっきりとは分からない。
「万歳」と叫びながら行う突撃のことである。
普通の「突撃」の際に万歳と叫ぶ突撃なので『万歳突撃』。
しかし、万歳と叫びながら行う突撃と言えば、自然とバンザイ突撃の方を思い浮かべるだろう。
『万歳突撃』は、この「バンザイ突撃」との混同を防ぐために“普通の”という言葉を頭につけて『“普通の”万歳突撃』としたほうがいいかも知れない。
歩兵操典等には、突撃時の喊声についての規定というものは存在しない。
一応、訓練の参考書等では「腹の底から出せ」といった注文はあるが、具体的に「ワー」だとか「ウアー」と叫べとは述べていない。つまり、突撃の際の喊声はどんなものでも良いわけだ。
そんな突撃時の喊声だが、昭和7年10月の『偕行社記事第697号附録』にこんな話が載っている。
『……此処にお出でになる武田少将は私が歩兵学校の学生であった時の中隊長で吾々の先生であります。先生を前にして申すことはをかしな話ですが、事実を申上げます。我国の突撃突喊には、どう言へと云うことは書いてありませぬ。即ち喊声は何と言ったが一番宜いかと云ふことを武田閣下が研究されて突込めと言へば万歳と唱ふ。今迄はワーと言ふ、どうも意味がない、それから万歳であるが、私の日露戦争の失敗は敵陣を取ってから万歳と言って居る、嬉しさの餘り万歳を言ふ、之を取る前に万歳と言ったらもっと効果的であろう、剣山=旅順と大連の間にある=を占領してから万歳々々をやったら、今度三方からバラバラやられて沢山の死傷者を出した。此万歳は恨めしい、それよか取る前に突込めの時に万歳々々と云ふことに依ってどれだけ士気が上るかと云ふことは部隊の訓練の時にはいつも言ふて居ることであります。此精神的威力を採用してから非常に効果があった事を確信します。』
(上海に於ける実戦談、辻權作)
どうも戦争末期以前、第一次上海事変の時点で突撃の際の喊声を「万歳」としたほうが良いという話があったようだ。
とはいえ、この万歳突撃。実戦で行われたのか、訓練時だけ行っていたのか、はたまた講話として話されただけなのか、はっきりとは分からない。
だが、上記の話の通りならば、突撃の喊声を万歳と叫ぶように教育するだけで兵の士気が上がり、強くなる(?)はずなのだ。
金もなにも必要ない。非常に安上がりで効果的な方法であるように思える。
ただ少なくとも、突撃の喊声を万歳とする。という教育は一般的ではないし、操典や教練書その他でこのようなことを述べているものは見たことがない。
結局のところ、この突撃の喊声を万歳にしてみるという試みは、一部で行われたに過ぎないのだろう。
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