• 分隊長 "Squad Leader"
• 副分隊長 "Assistant Squad Leader"
◦ 偵察兵(小銃手)×2 "scouts"
◦ 自動小銃班 "Automatic Rifle Team"
• 副分隊長 "Assistant Squad Leader"
◦ 偵察兵(小銃手)×2 "scouts"
◦ 自動小銃班 "Automatic Rifle Team"
・自動小銃手 "Automatic Rifleman"
・自動小銃手助手 "Assistant Automatic Rifleman"
・弾薬運搬手 "Ammunition Bearer"
◦ 小銃手×5 "Riflemen"・自動小銃手助手 "Assistant Automatic Rifleman"
・弾薬運搬手 "Ammunition Bearer"
となり、分隊内に「2人の偵察兵」、「自動小銃班」、「小銃手」という3つの班が形成されている。
この各部隊は、1942〜44年頃のマニュアルだと特に名前のようなものはつけられていないが、1946年の "FM 22-5 Leadership Courtesy and Drill" では、各班に以下のような名称が付けられている。
• No.1, Squad Leader
• No.12, Assistant Squad Leader
• "ABLE" (scouts)
• No.12, Assistant Squad Leader
• "ABLE" (scouts)
◦ No.2, Team Leader
◦ No.3
• "BAKER" (base of fire)◦ No.3
◦ No.4, Team Leader
◦ No.5
◦ No.6
• "CHARLIE" (maneuvering element)◦ No.5
◦ No.6
◦ No.7, Team Leader
◦ No.8
◦ No.9
◦ No.10
◦ No.11
◦ No.8
◦ No.9
◦ No.10
◦ No.11
(FM 22-5, 1946, par. 257)
"FM 22-5"(1946)では、各班がどのような装備なのか示されていないため、各班を構成する兵の種類や装備もはっきりとは分からないが、既に冒頭で触れたとおり1942〜44年頃は各班の名前が無いだけで、偵察兵・自動小銃班・小銃手、といった区分自体はあった。
各班の人数から考えれば、1942〜44年の2人の偵察兵が "ABLE"、自動小銃班が "BAKER"、5人の小銃手が "CHARLIE" であるという事は容易に想像がつく。
この各班の名称は単純にフォネティックコードを当てただけだと思われる。
この名称はいつ付けられたのだろうか?
1942〜44年までの "FM 7-10"、"FM 22-5" 中で、これらの名称を見つけることができなかった。
1941年版 "FM 22-5" は、第4回変更版(おそらく44年か45年)まであるが、第4回変更版はネット上で閲覧可能なものが無く、確認できず。
少なくとも1941年 "FM 22-5" の第3回変更版(1943年)には上記のような名称は無い。
1942年と1944年の "FM 7-10" にも無かった。
1944年 "FM 7-10" は、1945年1月と1946年9月に変更されている。
1944年 "FM 7-10" の"改訂版"である1949年 "FM 7-10" では、分隊の各班に名称がついている。つまり、この名称が付けられたのは1944年の後期〜1946年ということになる。
この名称はいつ付けられたのだろうか?
1942〜44年までの "FM 7-10"、"FM 22-5" 中で、これらの名称を見つけることができなかった。
1941年版 "FM 22-5" は、第4回変更版(おそらく44年か45年)まであるが、第4回変更版はネット上で閲覧可能なものが無く、確認できず。
少なくとも1941年 "FM 22-5" の第3回変更版(1943年)には上記のような名称は無い。
1942年と1944年の "FM 7-10" にも無かった。
1944年 "FM 7-10" は、1945年1月と1946年9月に変更されている。
1944年 "FM 7-10" の"改訂版"である1949年 "FM 7-10" では、分隊の各班に名称がついている。つまり、この名称が付けられたのは1944年の後期〜1946年ということになる。
名称がいつ付けられたのかという話はひとまず少し置いておき、この各班(チーム)の役割等がどんなものなのか見てみよう。
"ABLE"チーム
分隊長によって指揮される。
通常、敵に近づいたら分隊より前方を移動する。
このチームは、敵を発見したらその位置を分隊長へ報告します。
戦闘開始後、分隊長は彼らが最も分隊の前進を援助できる所へ使う。
分隊長は、この目的のために彼らを "BAKER" か"CHARLIE" に配属(attach)するかもしれない。(FM 22-5, 1946, par. 269a)
通常、敵に近づいたら分隊より前方を移動する。
このチームは、敵を発見したらその位置を分隊長へ報告します。
戦闘開始後、分隊長は彼らが最も分隊の前進を援助できる所へ使う。
分隊長は、この目的のために彼らを "BAKER" か"CHARLIE" に配属(attach)するかもしれない。(FM 22-5, 1946, par. 269a)
"BAKER"チーム
通常は副分隊長によって指揮される。(par. 257d)
"BAKER"チームは適切な射撃位置を占領できるまで分隊の他の兵たちと共に前進(maneuver)する。分隊長の命令を受けてからは通常、敵を釘付けにしたり、小銃手が前進や突撃(Assault)を行うのを援護するため、"Base of fire" として射撃位置に居続ける。
前進している小銃手によって射撃が妨げられる場合は、すぐさま新しい射撃位置へ前進する。(par. 269b)
怪しい訳だが、"BAKER" には戦闘時、"Base of Fire" という役割?が当てられている。
この "Base of Fire"、日本では「火力基盤」と訳されているらしい。
"FM 7-5" における "Base of Fire" の説明を見てみると、
「前進を支援する射撃位置に設置された攻撃梯隊の支援火器部隊。例えば、攻撃梯隊の部隊が攻撃開始位置に配置され、支援火器が所属する(割り当てられた)目標地域か攻撃支援の射撃区域の射撃位置を占領するとき、火力基盤が設置される(成立する?)と言われている。
火力基盤構成の目的は、攻撃部隊の前進と支援火器の射撃の緊密な連携をもたらすことにある。」
こちらも訳が怪しいが、"BAKER"の概要と合わせて見ると、確かに "Base of Fire" は、支援射撃部隊のことのようだが、"Base of Fire" という「役割自体」を指す名称としても扱われているような印象を受けるので、邦訳は無難に「火力基盤」とした方が差し障りがなさそうだ。
"BAKER"チームは適切な射撃位置を占領できるまで分隊の他の兵たちと共に前進(maneuver)する。分隊長の命令を受けてからは通常、敵を釘付けにしたり、小銃手が前進や突撃(Assault)を行うのを援護するため、"Base of fire" として射撃位置に居続ける。
前進している小銃手によって射撃が妨げられる場合は、すぐさま新しい射撃位置へ前進する。(par. 269b)
怪しい訳だが、"BAKER" には戦闘時、"Base of Fire" という役割?が当てられている。
この "Base of Fire"、日本では「火力基盤」と訳されているらしい。
「なによりも大事なのは、支援グループを定めて火力基盤を作っておくことだ。通常この役割はSAW射手にふり分けられる。」(クリス・マクナヴ,マーティン・J・ドハティ/角敦子訳『最新コンバット・バイブル』2008, p. 97)
"FM 7-5" における "Base of Fire" の説明を見てみると、
The supporting weapons of the unit of the attacking echelon when emplaced in firing positions to support the advance. For example, a base of fire is said to be established when units of the attacking echelons have been placed in departure positions and supporting weapons occupy firing positions with assigned target areas or sectors of fire to support the attack. The purpose of the organization of a base of fire is to bring about close coordination between the advance of the attacking echelon and the fire of supporting weapons.
(FM 7-5,1940, Appendix I)
「前進を支援する射撃位置に設置された攻撃梯隊の支援火器部隊。例えば、攻撃梯隊の部隊が攻撃開始位置に配置され、支援火器が所属する(割り当てられた)目標地域か攻撃支援の射撃区域の射撃位置を占領するとき、火力基盤が設置される(成立する?)と言われている。
火力基盤構成の目的は、攻撃部隊の前進と支援火器の射撃の緊密な連携をもたらすことにある。」
こちらも訳が怪しいが、"BAKER"の概要と合わせて見ると、確かに "Base of Fire" は、支援射撃部隊のことのようだが、"Base of Fire" という「役割自体」を指す名称としても扱われているような印象を受けるので、邦訳は無難に「火力基盤」とした方が差し障りがなさそうだ。
"CHARLIE"チーム
分隊長によって指揮される。(FM 22-5,1946, par. 257d)
分隊の機動部隊。(par. 269c)
分隊の機動部隊。(par. 269c)
これが1946年 "FM 22-5" による、ライフル分隊内の各班の説明である。
1945年の情報は電子化されたものが少なく、ネット上で閲覧することが困難なため、ここまで出典としては出していないが、マニュアル等(一次資料、二次資料)に限らなければ、ネット上にぼちぼち情報は散らばっている。
例えば、"http://www.hardscrabblefarm.com" では、1945年の分隊構成の情報に触れることができる。
このサイトのWW2関連のページ中にある "Combat Formation" にいくつか画像があるが、一番最初の画像によれば、"ABLE" は分隊長と2人の偵察兵、"BAKER" は自動小銃班、"CHARLIE" は残りの小銃手と副分隊長で構成されている。らしい。
英語版 Wikipedia "Squad" の記事においても、WW2時の米軍の分隊は上記の構成で説明がなされている。
どうやら各班に名前が付いたのは1945年頃のようだ。
ただ、「"ABLE" は分隊長と2人の偵察兵、"BAKER" は自動小銃班、"CHARLIE" は残りの小銃手と副分隊長」という構成はちょっと不思議である。
少なくとも1942〜44年までのマニュアルでは、1946年 "FM 22-5" にあったような「分隊長と副分隊長がどの部隊の指揮を執るのか」ということに関してはっきりとした記述は無く、先に見た通り1946年の "FM 22-5" では、"ABLE" と "CHARLIE" は分隊長、"BAKER" は副分隊長が指揮を執るということになっている。
また、1944年までのマニュアル上には、分隊長や副分隊長が「どこかの班に組み込まれる」ような記述は無い。
実際に1945年までは分隊長が偵察班、副分隊長が小銃班の指揮を執っていて、1946年から分隊長が"ABLE" と "CHARLIE" 、副分隊長が "BAKER" の指揮を執るようになったという可能性もあるが、いかんせん資料が無いのでなんとも言えず。
マニュアル上の分隊構成や各チームの役割はこの通りだが、実際の運用はどうだったのだろうか?
"THE EVOLUTION OF THE U.S. ARMY INFANTRY SQUAD: DO WE GO FROM HERE?" (以下EAISと略称)
In theory, the squad deployed for combat with the scouts out front for reconnaissance and security under the control of the squad leader. The assistant squad leader directed Baker team, the fire support element, while the squad leader directed Charlie team, the maneuver element. In actual combat, the squad leader rarely used the squad in this manner. The high losses of leaders in combat often resulted in soldiers leading squads with little training and experience in controlling the three teams. Heavy attrition of the squad itself caused constant turmoil in the composition of the teams. When the concept was used, the squad leader often became pinned down with his scouts by enemy fire and unable to control his fire support and maneuver teams.
(Stephen E. Hughes, 1994, pp. 5-6)
「理論上、分隊が戦闘のために展開すると、偵察班は分隊長の指揮下、(分隊の)先頭に立って偵察と警戒を行う。分隊長が "Charlie"チーム(機動部隊)を指揮する間、副分隊長は "Baker"チーム(射撃支援部隊)を指揮した。実際の戦闘において、分隊長がこの運用を行うことは稀でした。
戦闘での指揮官の高い損失(率?)は、しばしば兵士たちがほぼ未訓練、未経験で3つのチームを指揮するという結果になりました。
分隊の大きな消耗は、チームの構成に絶え間無い混乱を引き起こした。
この概念を使った時、分隊長は敵の射撃によって偵察班と共にしばしば制圧され、射撃支援部隊と機動部隊の指揮をとることが出来なくなった。」
"ENHANCING COMBAT EFFECTIVENESS, THE EVOLUTION OF THE UNITED STATES ARMY INFANTRY RIFLE SQUAD SINCE THE END OF WORLD WAR II"(以下ECEと略称)
The twelve-man infantry rifle squad of World War II had several weaknesses exposed during combat operations. First, it was determined that control of eleven men, even with an assistant squad leader, was beyond the capabilities of most squad leaders. Also, the squad leader was frequently pinned down by enemy fire, while moving forward with the two-man scout element, and unable to control the movement of the remainder of the squad.
(Timothy M. Karcher, 2004, p. 23)
「第二次世界大戦の12人のライフル分隊は戦闘中にいくつかの弱点を晒した。まず、11人の指揮は、(副分隊長がいるとしても)大抵の分隊長の手には余るということが確認された。その上、分隊長は2人の偵察兵と共に前進している間にしばしば敵の射撃によって制圧され、分隊の残りの部隊の運動の指揮がとれなくなった。」
分隊を Able-Baker-Charlie (偵察班-自動小銃班-小銃班)の3つに分割して運用するという方式は、マニュアルにはあるが、実戦ではあまり使われなかったようである。
実際にどのような運用がなされていたのかは(資料が見つからなかったので)わからなかった。
おそらく、戦闘群式の射撃班-機動班という分隊2分割方式だと思うが......
WW2後の分隊編制に関する動きについて、各種資料を参照して概要的に記述すると以下のようになる。
1946年にジョージア州フォート・ベニングで歩兵会議が開催され、WW2で得られた経験等を分析した。
歩兵会議は、歩兵の佐官を中心とする各30〜40人で組織された2つの委員会...
装備関連の問題について調査するHarlan N. Hartness准将を議長とした「委員会A」。
ドクトリンや組織上の問題を調査するJames M. Gavin少将を議長とした「委員会B」。
に分かれていた。(参照:ECE, p. 21)
委員会BはWW2の経験の分析を経て、効果的な分隊(編制や戦術)に関する結論を出した。その結論を出すにあたって、4つの事実が大きな影響を与えた。
1つ目は、分隊指揮の難しさ。
12人編成の分隊は、副分隊長と分隊内のチーム構成があっても、平均的な分隊長では指揮をとることができなかった。
委員会Bのメンバーは観察に基づき、大多数の戦闘指揮官は分隊の最大兵員数が9人でなければならないと感じた。
2つ目は、戦闘損耗が分隊の戦力に長期的な影響を与えていたということ。
分隊は、完全な戦力より20%低い戦力で日常的に戦闘を行っていた。
つまり、将来的に分隊は分隊長が指揮できる人員(少数)で、戦場での損耗の影響も考慮に入れた(多数)人員でなければならないということになる。
3つ目は、分隊には軽機関銃が必要だということ。M1ガーランドとBARは、どちらも重すぎるし、火力は限定的だった。
(ドイツのStG44とMG42の影響が大きかった様子)
4つ目は、前述の3つが分隊の戦術を制限するということ。分隊が火力基盤と機動部隊の役割を同時に行うことができないということ。
分隊で火力基盤と機動部隊に別れて戦闘を行うというのは、平均的な分隊長の指揮統制能力を超えていた。
また、火力基盤と機動部隊に別れて行動するには、もっと大きな分隊(人員)が必要となるが、人数が多いと指揮統制がとりにくくなる。
しかも、分隊は損耗によって火力基盤と機動部隊の両方に十分な戦力が供給できることの方が珍しかった。
(参照:"The Infantry Rifle Squad: Size Is Not The Only Problem", pp. 5-8)
分隊の再編制にあたって委員会Bでは、
Platoon
• Section(×3)
◦ Squad(×2)
・Squad Leader
・Assistant Squad Leader
・Riflemen(×5)
・Assistant Squad Leader
・Riflemen(×5)
の7人編成の分隊(自動小銃については言及無し)のコンセプト("Section" の2つの分隊で「射撃と機動」)が良いか、
Platoon
◦ Squad(×3? 記述無し)
・Squad Leader
・Scout(×2)
・Automatic Rifleman
・Assistant Gunner
・"Ordinary" Riflemen(×4)
・Scout(×2)
・Automatic Rifleman
・Assistant Gunner
・"Ordinary" Riflemen(×4)
の9人編成の分隊のコンセプト(他分隊や他部隊で「射撃と機動」、もしくは分隊で限定的な「射撃と機動」)が良いかで意見が割れたが、15:12という僅差で9人編制の分隊に軍配があがり、委員会Bとしては、分隊9人編制を推奨した。
この9人編制の分隊は後に、
Platoon
◦ Squad(×3?)
・Squad Leader
・Assistant Squad Leader
・Automatic Rifleman
・"Ordinary" Riflemen(×6)
・Assistant Squad Leader
・Automatic Rifleman
・"Ordinary" Riflemen(×6)
("Ordinary" Riflemen というのは、小銃手はBARの弾薬運搬手として機能するという意味合い。小銃手の1人は自動小銃手の助手になる)
という編成に修正された。(参照:ECE, p. 22, 25)
この分隊の運用は、
All nine men could be used as a single element for maneuver or frontal attack, or the squad could be split into fire and maneuver elements. In the latter case, four men could compose a covering party (assistant squad leader, automatic rifleman, assistant automatic rifleman, and one rifleman) and the five other men an assault party (the squad leader and the other four riflemen).
(出典: ECE, p.26)
(原典: Robert Dupree, Horace Homesly『A History of the United States Army Squads and Platoons, 1935 -1967』pp.40-41)
「9人の兵は正面攻撃か機動を行う一つの部隊として、あるいは、射撃部隊と機動部隊に分かれて運用することができた。
後者の場合、4名(副分隊長、自動小銃手、自動小銃手助手、小銃手1名)が援護射撃班を構成することができ、他の5名(分隊長と小銃手4名)は突撃班となる。」
ただし、1949年 "FM 7-10" の挿画(Figs. 15-19)を見る限りでは、「分隊長+小銃手5名」と「副分隊長+自動小銃班(射手、助手)」という具合に分かれているような印象を受ける。
この概要に関して、ここでは3つ文献を提示しているが、それぞれで(自分の翻訳が間違っていなければ)若干記述が違っていたりするので、大体こんな感じの流れがあった程度に見てもらえれば良いと思う。
参考文献
・U.S. War Department, 1942, FM 7-10 Rifle Company, Rifle Regiment
・U.S. War Department, 1944, FM 7-10 Rifle Company, Rifle Regiment
・U.S. War Department, 1946, FM 22-5 Leadership Courtesy and Drill
・U.S. War Department, 1949, FM 7-10 Rifle Company, Infantry Regiment, Changes No. 1, (1950)
・Stephen E. Hughes, 1994, The Evolution of The U.S. Army Infantry Squad: Do We Go From Here?
・Paul E. Melody, 1990, The Infantry Rifle Squad: Size is Not the Only Problem
・Timothy M. Karcher, 2002, Enhancing Combat Effectiveness, The Evolution of the United States Army Infantry Rifle Squad Since the End of World War II
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