萱嶋大佐(恐らく後年中将となった萱嶋高)の実戦談の講話を文章化したもののようだ。
全文を採り上げるのは量的にも厳しいので、一部を省略した抜粋という形になるが紹介しようと思う。
昭和12年(1937)の太原作戦の話である。この時期は歩兵操典草案が配賦された頃の話で、草案の戦法に関する感想がほんの少し出てくる。草案が昭和3年の歩兵操典と比べてどうなのか、ほんの参考程度にしかならないが、こういった話は結構珍しいので今回紹介する次第である。
一、緒言
萱嶋大佐は支那事変に際しては、支那駐屯軍歩兵第二連隊長として当初、通州の警備に任じ、第二十九軍の歩兵大隊の武装解除を行い、南苑の攻撃に際しては、之に赴援参加を命ぜられ、其の退路を遮断したるも大なる戦闘を行わず。次いで、北寧鉄道の警備に任ぜられ、十月、萱嶋支隊を編成し、第五師団の忻口鎮、太原の戦闘に参加し、終了後士官学校に転任せられたり。大佐は自己の戦功に対しては極めて謙遜しつつ、努めて戦場の実想を明らかならしむる如く講話せられたり。之を整理収録したる為、真相の脱逸、聞き漏らし等なきやを恐る末、文章推敲の余地多きも、敢えて印刷に附することとせり。
三、通州の戦闘に就いて
萱嶋連隊は事変当初、通州警備の任を受け、天津より行軍(約二十五里)に依り、七月十八日朝、通州師範学校に到着す。
当時の編成左の如し
歩兵二大隊(各大隊は二中隊とMG一隊とす)
連隊砲一隊 …四門
第一大隊砲小隊 …六門
機関銃隊…八門
歩兵中隊…銃剣二◯◯(弾薬各自二七◯携行し、手榴弾を有す)
中隊はLMG分隊二、小銃分隊二、擲弾筒分隊一(二)
山砲二中隊中隊はLMG分隊二、小銃分隊二、擲弾筒分隊一(二)
十五榴…二中隊
輜重……なし
大、小行李…支那大車を以って編成す
高粱(コーリャン)は、二,◯◯〜二,五◯米繁茂しあり
当時、軍司令官より八里橋以西には一兵も出さざる様厳命あり。
駐屯間、屡々(しばしば)29軍の武装解除を具申せしも容れられず。特務機関も亦楽観しあり。此の間、城壁攻撃及び高粱畑通過(方向維持)の訓練のみを行う。
萱嶋部隊は、通州駐屯支那兵の武装解除の後、明払暁(ふつぎょう)迄に南苑攻撃の為、其の東北角に進出を命ぜらる。
武装解除には約二時間を費やせり。
教訓
1、本部等に蝟集(いしゅう)するは大禁物なり
連隊長が戦闘開始前、要図(※要図は省略)の位置の城壁に上り敵情を視察中、連隊本部機関、命令受領者等多数蝟集せる時、支那迫撃砲三発を受け、一発は先ず左後方遠く。第二弾は右後方に落下し、大なる効力なしと考え居たる所、第三弾命中し、連隊副官、旗手、通信班長負傷し、兵一名戦死者を出すに至れり。
連隊長が戦闘開始前、要図(※要図は省略)の位置の城壁に上り敵情を視察中、連隊本部機関、命令受領者等多数蝟集せる時、支那迫撃砲三発を受け、一発は先ず左後方遠く。第二弾は右後方に落下し、大なる効力なしと考え居たる所、第三弾命中し、連隊副官、旗手、通信班長負傷し、兵一名戦死者を出すに至れり。
2、地物に蝟集せざること
兵に喧(やかま)しく注意せるも、尚十分ならず為に損害を蒙ること多かりき。
兵に喧(やかま)しく注意せるも、尚十分ならず為に損害を蒙ること多かりき。
3、家屋及び囲壁に依る敵を攻撃するに方(あた)りては、大隊砲、連隊砲等を以って家屋及び囲壁を射撃することなく、其の前方に在る陣地を直接射撃するを要す
本戦闘に於いて、高粱繁茂しありし関係上、大隊砲は約六十米迄接近し、囲壁に突撃路を開き、突撃せり。其の命中は実に正確にして、家屋及び囲壁の崩壊する状壮観なりき。故に敵は既に逃走せりと思料せるに、地上の陣地に在りて抵抗せり。
本戦闘に於いて、高粱繁茂しありし関係上、大隊砲は約六十米迄接近し、囲壁に突撃路を開き、突撃せり。其の命中は実に正確にして、家屋及び囲壁の崩壊する状壮観なりき。故に敵は既に逃走せりと思料せるに、地上の陣地に在りて抵抗せり。
4、手榴弾教育は兵をして、心手期せずして投擲せしむる如く訓練を要す
手榴弾教育には平素意を用い、内地部隊の三、四倍も多くの力を注ぎ、検閲にも十分注意し、之にて十分なりと思う程度に訓練せり。然れども、実戦に方りては、安全栓を抜くことを忘るるもの、発火を確認せざるもの等ありて不発多かりき。
又、日本軍の手榴弾よりも支那軍の手榴弾の精度良好にして、兵は好んで支那軍の手榴弾を使用せり。
手榴弾教育には平素意を用い、内地部隊の三、四倍も多くの力を注ぎ、検閲にも十分注意し、之にて十分なりと思う程度に訓練せり。然れども、実戦に方りては、安全栓を抜くことを忘るるもの、発火を確認せざるもの等ありて不発多かりき。
又、日本軍の手榴弾よりも支那軍の手榴弾の精度良好にして、兵は好んで支那軍の手榴弾を使用せり。
5、戦闘中臨機に応じ、飛行隊にて規定せる空地連絡規定は其の効果絶大なり
予(かね)て、空地連絡規定に依り連絡事項を定めあるも、戦闘間は対空兵の故障、布板を適宜携行しあらざる等、事故あるを以って、臨機飛行機より連絡規定を定めて、相互連絡するは大に効果あり。例えば、爆撃せよ、返事、爆撃不用等。
予(かね)て、空地連絡規定に依り連絡事項を定めあるも、戦闘間は対空兵の故障、布板を適宜携行しあらざる等、事故あるを以って、臨機飛行機より連絡規定を定めて、相互連絡するは大に効果あり。例えば、爆撃せよ、返事、爆撃不用等。
6、要点を占領せば、若干の守備兵を残置するを要す
要点を占領して、守備兵居らざるときは、何時の間にか敗残兵侵入しありて、後苦戦することあり。本戦闘、忻口鎮の戦闘又は追撃等に於いて屡々体験せり。
要点を占領して、守備兵居らざるときは、何時の間にか敗残兵侵入しありて、後苦戦することあり。本戦闘、忻口鎮の戦闘又は追撃等に於いて屡々体験せり。
7、支那兵の一部は頗(すこぶ)る頑強に抵抗し、最後の格闘迄逃げざりき
8、鉄帽は気休めのものなりと思料しありしも、本戦闘に於いて支那兵と格闘せし際、支那兵は青龍刀にて我が兵の面を撃ち、我が兵は刺突をなし、相撃ちとなりたるに、我が兵は鉄帽に依り、単に瘤を生ぜしのみなり。又、南苑の戦闘に於いて鉄帽なき兵は多く戦死し、被れるものは助かりたり。
四、翌二十七日、保安隊と交代すべく取極めありたるも来らず。一時該地を引き上げ、守備隊の位置に帰る。
二十七日、夜行軍を以って南苑に至る。大車を以ってする大小行李を有せしを以って、六時間を要する距離を十二時間を要せり。
小コウ門に至るや、敵の退路遮断を命ぜられ、実に愉快なる戦闘を為せり。然れども、完全なる退路遮断の効果を揚ぐることなく、盧溝橋方面の戦況に依り豊台に前進を命ぜられ、夜十一時頃豊台練兵場に到着し、露営す。其の隊形は概ね陣中要務令に準拠して行えり。豊台には我が兵営ありて稍安心し居たり。
此の夜、敵約三◯◯名、東、北門より夜襲し来るも、遠方より大声を発し、盛んに射撃を行う等、威嚇的行動に過ぎざりき。
我が兵、これに応射し大声叱咤して制止するも、尚射撃せり。此の際、下士官一名負傷せるのみなり
教訓
1、大車を以ってする大小行李は、支那人の所有者之に附しありしを以って、敗残兵の為大混乱を生起せざるやと心配したるも、最後迄跟随(こんずい)し来れり。訓練せば支那人も使用し役に立つべし。
2、緒戦に於ける射撃は、兵は敵を見れば勝手に行い勝ちにして、将来十分注意を要す
南苑攻撃に於いて、敵の退路を遮断せし際、兵は「ソラ出タ出タ」とて、勝手に射撃し甚だ困惑せり。之がため、我二、三発の射撃に依り直ぐに引っ込み大なる効果を揚ぐる能わざりしも、幹部の制止厳命に依り誘引射撃を行い、大なる効果を収め得たり。
南苑攻撃に於いて、敵の退路を遮断せし際、兵は「ソラ出タ出タ」とて、勝手に射撃し甚だ困惑せり。之がため、我二、三発の射撃に依り直ぐに引っ込み大なる効果を揚ぐる能わざりしも、幹部の制止厳命に依り誘引射撃を行い、大なる効果を収め得たり。
3、支那兵の夜襲は遠方より「ワイワイ」騒ぎ、威嚇的虚勢の夜襲なり。之が為、敵は多大の損害を蒙れり。又、紛に之に応射する時は、彼我の識別不明瞭となるを以って、指揮官の厳命に依り射撃を開始するを要す。
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